生徒の声

Interview: Hiroki Kimiwada

Interview: Hiroki Kimiwada
Contents


Student Interview: 君和田 大輝さん

KA 6th Juken Program(2017年度)を受講、現在はBoca Raton Community High Schoolに通う、高校生です。

小学4年生からKAをはじめたHirokiさん。自身の帰国枠受験や受験生へのアドバイス、そして今後の展望について話してくれました。

インタビュー内容全文(日本語)

自己紹介

みなさんこんにちは。Hiroki Kimiwadaです。私は小学6年生の受験コースに在籍していました。

帰国前のアメリカ生活

私はアメリカに住んでいました。実は比較的人生の早い段階で海外での生活を始めており、幼稚園のときには渡米していました。そして日本へ帰国したのは、アメリカで小学4年生になったばかりの頃でした。幼少期の大半を海外で過ごしたことは、私にとても大きな影響を与えていると思います。幼い頃から、世界は自分が思っているよりもっと広く、英語はその世界にアクセスするためのツールのようなものだということを知ることができたのです。

日本への帰国

冗談抜きで、日本に帰ってくるときは、この世の終わりかと思いました。というのも、私は幼稚園のときからアメリカにいたので、アメリカ、特にニューヨークの世界しかほぼ知らなかったのです。それしか知らなかったのです。来週から日本の東京に戻ることになったと両親から聞かされたとき、文字通り、そこは全く記憶にない場所でした。私は「ああ、もうおしまいだ・・未知の惑星でどうやって生きていけばいいんだろう?」と思っていました。まるで、ある日突然両親が私のところにやってきて、「みんなで火星に引っ越します!」と言ってきたのと同じような衝撃でした。帰国してからしばらくは、これまでと全く異なる環境に対する違和感を引きずっていました。日本の学年で小学3年生の10月頃でした。周りのみんなは自分が慣れ親しんだ言語とは違う言葉で会話をしていて、落ち着かなかったです。でも、何年か経つうちに日本にも慣れてきて、本当に日本が大好きになりました。

日本で生活しながら英語に触れるために

英語に関しては、特にニュースメディアを通じてつながっていました。世界中で何が起きているのか、とても興味があり、BBCやCNNを見て、英語はもちろん、欧米とも関わりをもっていました。毎朝、6時半から7時まで、BBC、CNN、NHKいずれかのニュースを英語で見ていました。そのように日本にいる長い間は、英語と日本の外の世界を身近に感じていました。

KAの第一印象

私がKAに通っていた頃は、校舎は自由が丘にあり、正直かなり狭かったです。本当にぎゅうぎゅうでした。なので、「こんなところに英語塾があるのか?」というのが第一印象でした。自由が丘という都会の真ん中で、こんな小さな建物だったなんて、本当に驚きました。しかし、KAで過ごすうちに、その衝撃や半信半疑な気持ちは薄れて、第二の故郷のような安心感に変わりました。特に帰国してから最初の数ヶ月は、自分が通う小学校に居場所がなかったんです。周りは「外国から来た子だ。日本語があまり話せなさそうだね。」という反応でした。それで、「ここ(小学校)には居場所がないけれど、KAには必ず先生がいる!友達もいる!」と思えたのです。私にとってKAは、もうひとつの学校となったのです。そして、日本の学校に慣れるにつれて、KAは自分と英語、欧米をつなげてくれる存在となりました。欧米の中の小さな飛び地のようなものだったのです。それが小学生の頃の私にとってのKAでした。

KAで学んだこと

私がKAで一番学んだことは、間違いなくクリティカルシンキングスキルです。KAにいるのだから、英語そのものを学ぶ、と思われがちですが、私は英語を使えるようになることよりも、もっと価値のあることを学んだと強く思います。地に足をつけて物事を捉えること、問題について深く考え、自分自身の意見を出すこと、これらはKAで過ごした4年間で得たものだと思います。もちろん、Joe-Joe先生から文法についてたくさん学びましたし、Charlie先生からはエッセイの書き方についてたくさん学びました。ですが、KAで学んだ最も貴重なことは、ランダムに出された課題に対して多方面からしっかり考え、自分なりの答えを導き出し、それを表現できる力だと思います。これは、KAで学んだ本当に、本当に貴重なもので、今でも活かしているものだと思います。

受験勉強でチャレンジングだったこと・乗り越えた方法

KAの英語学習の中での最大のチャレンジは、間違いなく小学6年生のときの受験でした。特に渋渋では、とてもユニークなエッセイ課題があり、今も同じかどうかは分かりませんが、当時は出題された詩を分析するというもので、これまでの私にとっては全く無縁なものでした。適当な詩を渡されて、“この詩の裏にはどんな意味があるのか?"と聞かれるのですから。最初のうちは、とても混乱しました。詩は私に何を書けばいいのか教えてくれないので、どうするべきか、全くわからなかったのです。なので個人的に最大の難関だったのは、渋渋のエッセイ課題に慣れることでした。そして、それを乗り越えた方法は、とにかくがむしゃらに努力することでした。たくさんの詩を、たくさんのパターンをこなしました。要は、ユニークな課題に自分を慣れさせました。そして、それが功を奏して、渋渋に合格することができました。今振り返ると、それがKAでの時間の中で最大のチャレンジでした。それと同時に、渋渋の難解なエッセイ課題を克服できたことは、私の最大の成果のひとつでもあります。

受験本番が迫る12月、1月、そして2月は、より古風で複雑な詩を解いていました。そして受験本番。渋渋の実際の試験で出された詩は、それほど難しいものではありませんでした。それまで練習で解いていたものよりも、ずっとわかりやすかったのです。なので最初は戸惑いましたね。自分が慣れ親しんだものと比べて、あまりにもストレートで、「あれ、これでよかったのかな?簡単すぎる。」と思いました。それが今でも一番印象に残っていることです。

受験勉強中のモチベーションの保ち方

KAがなければ、受験へのモチベーションを保つことは本当に大変だったと思います。KAにはたくさんの友達がいて、クラス全員が本当に仲良しでした。彼らとは今でも仲良しです。KAの友達やクラスメートは、私と同じ環境にいたからこそ、一緒にあの地獄を体験していたからこそ、私のモチベーションを高め続けてくれたのだと感じています。彼らができるのなら、私にもできるはずだと思えたのです。私たちは1つのチームのような感覚でした。もちろん最終的には、各々結果を出してその先へ進むのですが、それ以上に、共に助け合うチームという感じでした。小学5〜6年生の2年間同じクラスだったので、“志望校に合格する”という大きな目標に向かって、みんなで力を合わせているような気がしたのです。なのでモチベーションが保てました。帰国枠受験は言うまでもなく大変です。英語だけでなく、国語、算数、理科、社会など、さまざまな教科をバランスよく勉強しなければならないからです。本当に、本当に大変でした。でも周りには、同じ経験をしているKAの友達がいたので、受験について話したり、冗談を言い合ったり、苦悩を分かち合うことができました。そんなパートナーのような存在が、私のモチベーションを高めてくれたように思います。KAを卒業してからもう5年ぐらい経ちますが、当時のクラスメートとは、今でも本当に、本当に仲良しです。

KAで印象に残っているエピソード

繰り返しになりますが、受験は本当にチャレンジングで、正直なところ、大変だったところしか覚えていないです(笑)。でも1つ覚えているのは、小学6年生の1月、クラスにも緊張感が走っているときに、友だちが面白いジョークを言い続けていたのですが、みんなストレスが溜まっていたせいか、全く通じていませんでした。今思えば、彼女のジョークはとても面白かったですし、ストレスで誰も笑わなかったという事実も笑えますよね。1人の女の子が面白いことを言っているのに、誰も笑わない。その場に30人くらいのクラスメートがいて、全員が “なぜ彼女はジョークを、しかも突然言うのだろう?”という面持ちで。彼女のジョークに誰も笑わなかったこと、そしてそれが彼女を悲しませてしまったことを、今でも当時のクラスメートと笑いながらよく話しています。振り返ると、あの場面が受験で1番面白かったことだと思います。

受験生へのアドバイス

受験で1番大事なことは、時間を賢く使うことです。考えなければならないことはたくさんあります。例えば、文法は正しく使えているか、問題を正しく理解できているか、自分のエッセイは完璧か、などです。加えて、国語や算数もやらなければならないのであれば、それも考慮しなければならない。でも時間は限られています。学校にも通わなければならないですし、友だちや家族との関係を疎かにすることもできません。これはほんの一例で、生活の中ではいろんなことが起こり得ます。ですので、私がアドバイスしたいのは、やらなければならないことを全てリストアップして、自分にどれだけの時間があるかを考え、◯月X日の△時にこれをやる、◯月△日のX時にこれをやる、というスケジュールをしっかり立てることです。自分が何をしなければならないかを知り、それを考慮した上で具体的なスケジュールを立てることは、本当に役に立つと思います。実は、これは受験の後にやり始めたことで、今の成果につながっていると感じています。私が受験でやらなかったこと、それは物事を計画することです。するべきだったと今でも思います。私は何も計画せずに受験に臨んだため、自分で自分の首を絞めていました。自分が今やらなければならないことを知り、自分の時間がどれくらいあるかを意識し、適切に時間を管理することが、間違いなくベストだと思います。私は、GoogleスプレッドシートとGoogleカレンダーを使って、物事に優先順位をつけて計画を立てています。この2つのツールを使うと、生活をよりシンプルに、そして効率よく動くことができると思います。以上が、私からのアドバイスです。

自身の進学先について

渋渋、聖光学院、SFCに合格したのですが、私はSFCを進学先に選び、3年間通ってから渡米しました。多くの人に 「なぜSFCを選んだの?」「なぜ渋渋に行かなかったの?」「あれだけ英語ができるのに、なぜ聖光に行かないの?」と言われました。その答えは、SFCは大学受験をスキップすることができる学校だったからです。SFCでは大学受験がないので、中学生から高校生の6年間を自由に使って、自分の興味のある分野を探すことができて、さらに言えば“また厳しい受験を乗り越えなければならない”という考えに取り憑かれることがないと思ったのです。その、自由に自分の興味・関心を突きつめて、好奇心と活力を養うことができるという部分に引き寄せられました。渋渋でも聖光でもなく、SFCを選んだのはそのためです。

再びアメリカへ

アメリカに戻るまで、7年間ほど日本で過ごしたと思いますが、その間での1番大きな変化は、自分は日本人であるという、確かな概念を持つようになったことです。自分の国や、自分が日本人であることを理解し、日本人であることに誇りを持つことができました。そして、それが全てを変えたと思います。アメリカに住んでいたころ、小学1〜2年生のときは、そのように考えたことはありませんでした。日本人であること、自分は他の誰とも違う人間であることは、頭の片隅にもありませんでした。自分の中にそういう考え方がなかったのです。しかし、7年間日本で過ごし、日本の文化を学び、日本人の友だちをたくさんつくり、日本中を旅したことで、自分という人間、個としての自分、そして自分のバックグラウンドについて、しっかりとした考えを持つことができるようになったと思っています。そして、その信念を持ったままアメリカに戻ることができて、本当によかったです。その理由としては、私が通っているアメリカの高校では、1学年あたりの生徒数がとても多く、おそらく1000人以上おり、自己意識や、アイデンティティを強く持たないと、学校にいる大勢の人の波に飲まれてしまうからです。4,000人もの人がいる中で、自分が日本人であること、自分がユニークであることを知っているからこそ、その中で自分の個性を保つことができていると感じています。それが、ここフロリダでの私の個性だと思うのです。日本を、そして自分が日本人であることを理解しているからこそ、“私”は確立され、区別されるのです。また私が"Hiroki Kimiwada”という存在を理解しているからこそ、周りの友だちを楽しませることができているのだと思います。

高校卒業後の進路について

アメリカの高校を卒業した後、自分は何をしたいのか、実はまだ悩んでいます。それは、どの大学に行きたいのかがわからないからではありません。大学で学ぶことの価値は、大学そのものではなく、そこで何を学び、何を経験するかにあると思うのです。なので今、自分はどの分野に進みたいのか、自問自答を繰り返しています。天体物理学なのか、コンピューターサイエンスなのか、数学なのか、生物情報学なのか、、、それとも、哲学や政治、経済学など、まったく違う分野に進むのか。まさに今、私は選択を迫られています。自分はどの分野のエキスパートになりたいのか、その答えを探し続けています。どの大学に行くかは、その答えが見つかってから考えようと思います。

天体物理学への興味と自分の活動

もともと星に興味があったからです。とてもシンプルですよね。幼少期はスターウォーズに夢中でした。スター・デストロイヤーが大空を駆け巡る姿に惚れ惚れしました。スター・ウォーズの世界と同じようなことが、実際に宇宙のどこかで起こっているかもしれないと、心を躍らせたものです。それからというもの、空を見上げては、向こうには自分の知らない何かがもっとあるのではないかと考えるようになりました。この惑星を超えるものがあるのかもしれないと。そして、天体物理学というものと出会いました。

天体物理学に関係のある活動でいうと、日本天体物理学オリンピックという、中高生を対象とした天体物理学の全国大会があるのですが、そこでは誰が1番かを競います。オリンピックみたいなものですが、星に興味がある私のようなオタクが参加するものです。そこで今年、私は金メダルを獲得したんです。私の記憶では、上位10名しか入賞できなかったと思います。来年はトップ3に入ることを目標にしています。大きな目標ではありますが、それに向けて頑張っています。これは日本でのお話でしたが、アメリカでは、これに似た“Science Olympiad”があります。私は天体物理学を主として学んでいるので、もちろん天体物理学の分野で州のチャンピオンになりたいですし、欲を言えば、全米という括りでも入賞したいと思っています。

もし私が天体物理学の分野に進み続けるとしたら、何をすればいいのだろうか。これは、今も自分自身に問いかけています。そして一般的な天体物理学の道とは全く別のルートを歩むだろうと思っています。“天体物理学者”と聞いて多くの人が想像するのは、ニール・ドグラース・タイソンのように、人々に興味を持ってもらうために宇宙の性質を唱えるような人でしょうか。あるいは、スティーヴン・ホーキング博士のように、宇宙がどこから来たのかを理論的に研究している人を想像するかもしれません。ですが、私はそのどちらにも当てはまらないと思うのです。もしこの分野に進むとしたら、理論的に物理学を深く追求するのではなく、より物理学を実世界に結びつくようにすると思います。例えば、彗星や小惑星を商業利用できないか、というようなことを研究するでしょう。天文学や物理学に関するこれまでの活動を、商業分野や産業分野に取り入れ、“自分のスキルをどう活かすことができるか。どうすれば、自分の持っている知識を使って、世の中に多くの利益をもたらすことができるのだろうか”と考えるでしょう。

今私が特に興味を持っているのは、小惑星の採掘です。星の彼方にある小惑星を運んできて、資源を採掘するという、とても魅力的な分野だと思います。私が培ってきた化学の知識と、商業を組み合わせることができるのです。なので、もしこの分野を追い続けるなら、私はそのような道を歩むと思います。

国際関係への興味と自分の活動

国際関係や国同士がどのように作用しているか、ということにも関心があります。日本と韓国間の問題、特に2018年から2020年にかけての政治的緊張の高まりは、とても興味深いと思いました。マスメディアの影響や、インターネットの悪意ある情報によって、国と国との関係が時間とともに崩れていく様子が如実に表れていると思いました。そこで私は、“この状況をより良くするためにはどうしたらいいのだろう?この大きな議論や戦いに、一石を投じることができるかもしれない。”と考えました。そしてそのうち、“日本人と韓国人の学生を集めて、会議みたいなことをやってみよう。面白いかも。”と考え始めました。異なる国の人たちを同じテーブルにつかせ、会議に参加させるのは確かに難しいことです。最近は、高校生だけを対象にしたものでなく、大学生と一緒に長期的な視点で2つの国を結びつける、というアイデアを、2人の高校生から始めるにはどうしたらいいかと考えるようになりました。日々いろんな考え方にシフトしているのです。

データ分析への興味と自分の活動

私はデータ分析そのものと、それが広く世の中に応用できることにも興味がありました。しかし、これまでコーディングについては知っていましたが、それを実用することはできていませんでした。そこで夏の間、現場でデータ分析を活用できる機会を探していました。するとフロリダに、看護師を雇い、全米の病院に派遣する人材派遣会社のような会社があることを知りました。“この会社は、全米の病院や看護師のデータをたくさん持っているに違いない、これは膨大な量のデータを扱うことができる。”と思いました。そこで私はその会社に、「私は高校生なのですが、データ分析にとても興味があるので、そちらで管理しているデータを使って何か分析できないか、そしてうまくいけば、オペレーションをもう少し効率化できるような機械学習モデルを構築できないかと考えています。」とアプローチしました。すると驚くことに、その会社はまさにデータ分析と機械学習モデルの導入を検討し始めているところでした。実際に機能するのか、投資する価値があるのか、確かめたかったというのです。そして、それを試すために、たまたま居合わせた高校生(私)を利用してくれたのです。お金を払う必要もないですからね。もちろん、情報の一部は編集されていましたが、位置情報、病院情報、お金の流れに関する情報などのデータセットにアクセスすることができました。私はデータ分析に精通している知り合いの助けを借りて、その集計データを自分なりに分析しました。その結果、完璧な機械学習モデルとは言えませんが、初歩的な機械学習モデルを開発することができました。例えば、看護師の性別、居住地、希望する給料の額や、どのくらいのペースで働きたいかなどの情報を取り込み、その情報をもとに、その人に最適な病院、その人が最も活躍できそうな病院を提案することができます。この夏は、これまで学んできたスキルをより実践的な環境で使ってみようと試みた夏でした。

機械学習×国際関係

私は機械学習を公共政策に活用することで、可変的なことや、それぞれの利益を考慮した、最も効率的で最良の政策をつくることができるのではないかと思っています。特に日本と韓国では、政治家がみんなを満足させる最適解を導き出せないために、これほどまでに大きな溝が生じてしまっていると感じています。そして、それを人間だけで解決するのは、本当に難しいことだと思います。プロセスも複雑で、可変的なことも多く、その上考慮しなければならない利害関係もたくさんあります。機械学習やデータ分析は、そのプロセスを補うことができるのではないでしょうか。もちろん、全てを機械に置き換えることはできないと思いますが、データ分析やニューラルネットワーク(脳の特性のいくつかをコンピュータ上で表現するために作られた数学モデル)は、おそらく政策立案者が外交問題などの問題に対して、多くの人を満足させるような解決策を導き出す助けになると思います。日本と韓国だけに限らず、もっと大きな規模でこれらが活用されれば、世界中に存在するさまざまな国の外交問題を解決することができるのではないでしょうか。

KAでの学びで得たものを再認識した瞬間

今受講しているAP English LanguageやSATの勉強をしていると、KAでの時間は長い目で見ても本当に役立っていると実感します。嘘ではありません。何の準備もせずにSATで満点が取れたことも、KAがあったからこそだと思います。KAで身につけた文法や読解力は、本当に大きな力となっていて、今でも私を助けてくれています。またKAでエッセイライティングをたくさん練習したおかげで、私はAP English Languageのクラスで優秀生の1人になりました。ある時、私が受験勉強の中で書いたエッセイとよく似た課題が出題されたことがありました。そこで試しに私が過去に書いたエッセイと全く同じものを書いて提出したところ、Junior AP Languageのクラスで満点を取ることができたのです!とても凄いことですよね。つまり、小学6年生のときに学んだことは、高校でも通用するということです。さらに言えば、AP English Languageの授業は大学レベルのものですからね。SATについても受験よりずっと簡単なので、もし中学受験を乗り越えることができたら、必ずホームランを打てます!渋渋の英語はSATより難しかったと、自信をもって言えます。

おわりに

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。本当に感謝しています。とても光栄に思います。受験は時に辛いものですが、そこでの友だちや先生との出会いは、とても貴重なもので、私の宝物です。当時出会った友だちの何人かとは、今でも連絡を取り合っています。辛い経験が良い思い出に変わる日がきます。たとえ苦しくても、みんなにはそれを乗り越えてほしいです。そしてみんなに幸せが訪れますように。